里海隊

いまはもう聞こえない合戦の合図

2014年2月26日

しまなみ海道が通る今治市・大島の宮窪地区は村上水軍の一派・能島水軍が活躍した場所としても知られています。その真髄に迫ってみようと、能島水軍にまつわるさまざまな場所を訪れてみました。まずは水軍城を設けた能島周辺を回る潮流体験に挑みました。
潮流は瀬戸内海のギザギザした海底の岩の隆起によって生まれるそうです。海に出陣していく能島水軍の気持ちを知ることができそうです。ライフジャケットを装着して荒れ狂う海に出陣!この日は穏やかな方だったそうですが、実際に出てみると潮流が激しく渦巻いています。

1959823_668379193201001_258467834_nぐるぐるぐるぐる…複数の渦がぶつかり合って複雑な海の迷路になっています。海賊たちはこの危険なハイウェイを乗りこなして海上で戦いを繰り広げていたそうです。こんな不安定な場所で槍を突いたり、斧を振りかざしたり、反動のある銃を撃ったりしていたわけです。そりゃあ、世界的にも有名な海賊「村上水軍」がこの戦闘潮流で鍛えられて誕生してしまうのも納得というものです。この激しい海流、肥沃な海があるからこそ、鍛えられ、身が引き締まった魚が釣れるわけですね。
ちなみに、どれだけ潮流が激しいかというと…。
1920271_668379253200995_1087851775_nエンジンを切った船がすぐさま潮に流され、翻弄されるほどの勢いで、下から激しく尻の下をハンマーで「ガーンガーン」と叩き上げるような衝撃が船底に響き渡ります。

1655990_668379676534286_272198744_n潮流体験の後は村上水軍博物館にも寄らせていただきました。さまざまな展示物を観覧して、当時の戦の風景や海辺に暮らす人々の様子を知ることができました。海賊の住むまち、大島。いまも海賊たちの足跡は文化・歴史として残っています。

夜は能島村上水軍が活躍した今治市大島で宿泊。場所は民宿「かぶらぎ」です。
IMG_8173屋号は「矢櫃(やびつ)」といいます。矢櫃とは弓矢のおひつ(ごはんを入れておく木桶)からきており、つまりは合戦の時などに蓄えられていた武器庫を指します。詳しいことを知る先代の女将さんはもういらっしゃらないので、詳しいお話を聞くことはできませんでしたが、かつて武器庫で働いていた役職の方がご先祖にいたそうです。

そこから、先代の女将さんたちが民宿の名前を考える際に弓矢に関係する名前を、と現在の民宿名「かぶらぎ」と名前を付けました。この「かぶら」というのは矢の装置の一つで、射る際に音が出る仕組みになっています。漢字では「鏑」と書きます。もともと合戦の際に放って戦の始まりを告げるのに使われたそうです。10年ぐらい前に携帯電話のCMで俳優:浅野忠信が携帯に表示された鏑木という名前を見て「読めないよ」と言っていたのを覚えている人も多いのでは?鏑は現在では形骸化し、流鏑馬(やぶさめ)のときなど祭礼的に使われるそうです。
歴史上で有名な鏑矢の活躍といえば平家物語でしょうか。弓の名手で有名な那須与一が扇を落とすのに使ったのがこの鏑矢で、浦中に響き渡る音を立てながら扇を海に射落としたそうです。

さあ、お食事の時間です。
IMG_8189
IMG_8190
IMG_8194さすがは三大潮流に数えられる海で育った魚!上から、身がぎっしり詰まった鯛の塩焼き、タモリの煮付け、お頭が丸ごとドーンと入った鯛のアラ汁!まさに極楽ですねぇ~。
IMG_8230シメは東予名物の炊き込み鯛めし。宮窪は油揚げも有名な場所で、鯛めしの中にも油揚げが入っています。ダシをしっかり吸っていて、口に入れるたびに風味が広がります。あまりのおいしさに、思わず海賊のようにワイルドにガツガツと食べてしまいました。

「先代の女将のときは村上水軍ゆかりのお食事もあったのですが、十分に引き継ぎできずに代わってしまったものですから、いまはどんなお食事だったかお伝えできないのが心残りです」

かつて日本一の海賊王がいた場所で、昼間は海賊について知り、夜は海賊のような食事。いまでこそ名残しかありませんが、当時のことを考えていると、鏑矢の音がどこかの海で聞こえてくるような気がしてしまいます。

■投稿 いっしー

…………………本日の行程…………………
11:00 Ties で鯛カツバーガーを食す

13:00 潮流体験&村上水軍博物館を見学

15:00 大三島ソースオムソバを食す

17:00 民宿かぶらぎに宿泊

鯛カツバーガー

鯛カツバーガー

村上水軍博物館

村上水軍博物館

大三島ソースオムソバ

大三島ソースオムソバ

かぶらぎ

民宿かぶらぎ